占い師であり、個別指導塾主宰者であり、国語科講師であり、元・浜学園講師であり、吉田兼好の末裔である人物が、横溝正史について、金田一耕助について、思いつくままに語ります。

生年月日時考

登場人物の生年月日を考える。

金田一耕助の生年月日を考えてみる。

突然、金田一耕助の生年月日が気になり始めた。正確には、ずっと気になっていたのだが、ここへきて、何とか、決定してしまえという気分になったというのが正しい。

金田一耕助は、作者1903年生まれの横溝正史よりも、十歳下である。であるから、1913年生まれである。そして、横溝正史は「(金田一耕助は)僕より十ぐらい下なのね。六十三ぐらい。九つ下だけれどもしかし彼は早生まれということにしているんですよ(笑)。僕は遅生まれなので十ぐらい下になる」(座談会『横溝正史 ―わが道をゆく』にて「本の本」1976/6より)と言っている。早生まれということは、やぎ・みずがめ・うお・おひつじのうちのいずれかに太陽がある。

こうなると、やぎではないかという疑いが忽然ときざすのである。なぜか。みずがめならば、金田一耕助は、もっと美男であるか、大柄であるような気がする。うおでも、同様である。おひつじならば、もっとフットワークの軽い男になっているような気がする。貧相な小男である上に、年齢不詳であり、『病院坂の首縊りの家』では、この男は年をとらない、と言われている金田一耕助。ことあるごとに、ものぐさだと言われている金田一耕助。これはやぎに太陽を持つ男であるに相違ない。

さて、そこで、1913年1月1日正午盛岡でソーラーチャートを出してみる。なぜ、盛岡かと言えば、金田一京助と同郷であるとの記述があったからである。

1913年1月1日盛岡正午

このホロスコープを見て、ワタクシの頭に、ひらめいたことがあった。それは、この配置が、ワタクシの知っている、ある二つのホロスコープと、親和性を持っているということである。

ひとつは、横溝正史をして、金田一耕助のイメージに最も近い、と言わしめた、古谷一行の出生図。
古谷一行 ネイタル・チャート

そして、いまひとつは、横溝正史の亡くなった日の経過図である。
横溝正史 逝去

これらに共通するのは、やぎ、である。やぎの太陽。これは、もう、間違いないと言っても良い。横溝正史が最も愛した作中人物は間違いなく金田一耕助である。そして、横溝正史が抱く金田一耕助のイメージに最も近いのが古谷一行なのである。

金田一耕助は、24歳の時に『本陣殺人事件』を解決したにもかかわらず、徴兵によって青春を棒に振った男である。そのために、復員後、『獄門島』の際には、すでに33歳になっている。これは、毎日放送制作の横溝正史シリーズの金田一耕助を、古谷一行が、34歳で初演したことを彷彿とさせる。

やぎの太陽は、ほとんど間違いのないところとして、問題は、月である。

ここで、鍵を握るのは、古谷一行の出生図と、横溝正史の出生図である。

横溝正史 ネイタル・チャート

横溝正史は、編集者出身の作家らしく、ふたごの太陽を持っている。しかも、ふたごに、水星と冥王星を0度で併せ持っている。

この水星・冥王星が、膨大な量の、死の物語、性の物語を、ふたごらしい軽やかさで、書かせたのだと思われる。

ここで、横溝正史のイメージする金田一耕助に最も近い古谷一行のホロスコープを見ると、やぎの太陽加えて、さそりの月を持っていることがわかる。そして、さそりサインの支配星は冥王星なのである。

金田一耕助の職業は私立探偵である。さそりのキーワードには、秘密・調査がある。しかも、金田一耕助は、『病院坂の首縊りの家』が証明するように、昭和28年に始まった事件を昭和48年に解決したりするような人物なのである。これは、やぎの特性、時間との勝負に強いということを示していると同時に、さそりの特性、執念深さを示すものである。

それならば、自らを最も近いものとして演じた古谷一行同様、金田一耕助がやぎの太陽とさそりの月を持つ男であっても何ら不具合はないと思われる。むしろ、そうである方が、納得がいく。

そこで、金田一耕助が生まれたのは、1913年1月1日19時ごろから1913年1月4日2時ごろまでの間であると思われる。

このころ、金星はみずがめの23度から25度のあたりにあり、土星はおうしの27度あたりにある。さそりの月はみずがめの金星と90度、おうしの土星と180度、みずがめの金星はおうしの月と90度の位置にあることになる。金田一耕助が生涯心惹かれた二人の女性のうち、ひとりが、『獄門島』の本鬼頭のあとをとることになった鬼頭早苗であり、ひとりが、金田一耕助によって自らの絶望的な犯罪を暴かれることになった、『女怪』の持田虹子であり、いずれも、金田一耕助にとっては悲恋に終わったことを考えると、月‐金星の90度、月‐土星の180度、金星‐土星の90度は十分納得できる。また、跡取り運を示す冥王星、セックスアピールと殺人を示す冥王星に支配されている女性を好んだということもできることから、月サインのさそりはほぼまちがいなく、月と金星がタイトな90度、月と土星がタイトな180度、金星と土星がタイトな90度を形成している日時が、金田一耕助の生年月日時であろうと思われる。

月が、さそりの25度のあたりにある場合、これは、1913年1月3日18時頃の出生であるが、このとき、東の地平がししになり、頭髪に特徴を持つことになる。極端に髪の毛が多かったり、極端に少なかったり、目立つひげを生やしていたりすることになるのだが、金田一耕助の外見時特徴には雀の巣のような蓬髪が挙げられる。しかも、『病院坂の首縊りの家』では、体型の変化が見られないと言われているが、これは、やぎの身体的特徴だけではなく、ししの身体的特徴でもある。ししの身体的特徴には、決して大柄ではない、というものもある。東の地平がししであることも、金田一耕助の人物像からそう大きくはかけ離れていないと思われる。

ここで、一応、金田一耕助の生年月日時を1913年1月3日18時として、ホロスコープを掲載してみる。出生時間の検討は、レクティファイによって、改めて行うこととする。

金田一耕助 ネイタル・チャート

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